就活~卒業まで
それからというもの、とにかく社会に出ている大人たちとまともな話ができなければダメだと思った私は、いろいろな本を読みました。それは新聞社に入りたかったからというのもありますが、実際の受験は、連戦連敗。
新聞社で1社だけ最終面接に進むことができましたが、そこでも落ちてしまいました。最終面接が6次試験だったため、私の心は完全に折れていました。
また来年この受験をするのが嫌になってしまい、どこか就職できるところはないかインターネットで探しました。
すると「カメラアシスタント募集」の文字が・・・。場所は東京、新聞社出身でフリーでスポーツカメラマンとして活躍していた方で、メールしたら会っていただき、無事に仮採用という形になりました。
いざ東京へ
無事に専門学校を卒業し、東京に行くことになりました。アシスタントといってもコンプライアンスという言葉すらない超ブラック時代でしたから、「給料はゼロ」。アルバイトで生活をするというのが条件でした。
「俺が写真を教えるのに、なんでお前に給料を払わなければならないんだ」
そういう人でした。それでも初めての東京でそういう世界だと思っていた私はそれが普通だと思ってしまい、素直に受け入れました。
あとで知ったのですが、それはカメラマンによるそうです。フリーのカメラマンといってもちゃんと給料を払う人もいるし、逆に先生クラスになると授業料としてお金を払っているアシスタントもいるそうです。
ポートレート撮影のために、ロケハン(ロケ地を探してくる仕事)はすべて実費でしたので、本当にお金がありませんでした。グーグルマップなど存在せず、地図を見ては撮れそうな公園や場所の見当をつけて電車を乗り継いで探す日々。バイト代もあっという間に底をつきるのです。
当時新宿で、33,000円風呂なしトイレ共同のボロアパートに住んでいた私は銭湯に行く400円すらありませんでした。人間追い込まれれば何でもできるものです。あまりに風呂に入りたくなった私は、見ず知らずの隣の部屋の男性に、銭湯代を借りに行ったこともありました。
ただ、お金を払って苦労して得た情報は確実に身になることは身に着けました。カメラだって会社から支給されたものより自分で買ったほうが、大事にするし上手くなろうとする。ロケハンは今でも得意で、撮影に適した場所かどうかを一瞬で判断がつくようになったのは良い経験でした。
写真館への就職
お金がなさすぎると人間の精神はおかしくなるもので(笑)、私は半年ほどでアシスタントを辞めてしまいました。それでもまだ何も成し遂げていない私は、カメラマンで生きていくことだけはあきらめられませんでした。
そんなとき、姉が結婚することになり、結婚式当日の写真を撮ってほしいとお願いされました。いま考えても下手すぎる写真でしたが、姉も義兄もすごく喜んでくれました。
「身近な人に喜んでいただける写真もいいかもしれない」
素直にそう思いました。
写真業界は大きくわけると3つの分野に別れます。
・マスコミ系(新聞や週刊誌など)
・広告系(雑誌の広告や商品の写真など)
・写真館(学校の卒業アルバムや七五三・成人式などの記念写真)
私は写真館に活路を見出し、就職がきまったのです。
幸か不幸か小さな写真館だったので、なんでもやらなくてはいけませんでした。当時、フィルムからデジタルに移行する時代でしたので、パソコンに強かった私は、最初から重宝されました。そして少ないながらも給料がもらえました。給料がもらえなかったことを経験していた私からしたら、こんなありがたいことはありませんでした。七五三が7歳と5歳と3歳でやるから七五三ということすら知らなかった私に色々なことを任せてもらえ、写真館業界のイロハを教えてもらった当時の社長には感謝しかありません。
>> vol.4へ続く